読書感想文

TAD-O-TAD2009-08-07

限りなく透明に近いブルー」(村上龍講談社文庫)
mixiの日記にも書いたが、いつだったか「新装版」が出たというので本屋に見に行ったのだが、表紙からリリーの横顔が消えていた。あかんでしょ、それ。よく村上さんが許したもんだと思う。あとがきを引用すると…


リリーへの手紙−あとがき
小説を本にするという話があった時、装幀をやらせて欲しいと頼んでみた。だって俺はこれを書きながら、もし本にできるならリリーの顔で表紙を飾ろうとずっと思っていたんだから。(後略)


解説が綿矢りさに変わっていた(この本が出た時、彼女いくつだよ?)ので、それだけ読んで本屋を後にした。
綿矢に言われるまでもなく、この小説は強烈な匂いと色彩に満ちている。加えていわゆる「普通の人」には無縁の、ドラッグと乱交パーティーと暴力など。


でもそれだけじゃなく、時にすう〜っと、落ち着く場面がそこここにちりばめられていて、私はそこが好きなのだ。と、高校1年の時の読書感想文に書いた覚えがある。現国の教師は何も言わなかったが、ヘンなヤツだと思っただろうか?「鳥」の話なんてどうでもいい。「解釈文」ではなく「感想文」なのだから。


それにしても…どうして「ヘンなヤツ(ヨシヤマ)」に大阪弁をしゃべらすのかな。大阪弁って、そういう役割なのかな。ちょっと複雑。

早熟なのか普通なのか

TAD-O-TAD2009-07-02

肉体の悪魔」(ラディゲ、中条省平・訳、光文社古典新訳文庫

原文のタイトルは"Le diable au corps"。どこかで聞いたことがあると思った人は漱石ファン、かな。「三四郎」の中の学生集会の場面で誰かが、"Il a le diable au corps"と叫ぶ場面がある。「三四郎」が1908年、「肉体の悪魔」が1923年だから、漱石がパクったわけではない。フランスではよくある表現なのであろうか?まあ、そんなことはどうでもいいのだが。


ジョークの世界ではフランス人は「好色」だったかな。ユダヤ人は「ケチ」でポーランド人は「マヌケ」とか。「好色」が良くないなら「アムールの国」とでも言いましょうか。


この小説は15歳の少年と19歳の人妻の不倫を書いたもの。当然少年に生活力などないわけで。でもそんなことより「アムール」が大事。自分には決して出来なかったことを「ふ〜ん」と思いながら読んでました。

川上未映子ですか(-。-)ボソッ

TAD-O-TAD2009-06-29

パンドラの匣」(太宰治新潮文庫
パンドラの匣」と「正義と微笑」が収められています。「パンドラの匣」は書簡形式、「正義と微笑」は日記形式。私としては日記のほうが好きなのですが、まあそんなことはどうでもいいです。


太宰の生誕100周年にあたって「パンドラの匣」が映画化されるそうですね。反対、と言ってももうどうしようもない。「パンドラの匣」を読むにあたっての面白さの一つに、竹さんやマア坊が一体どういう容姿の人かを想像できるという点がある。でも映画では最初から決まってしまうものな。映画を観てから小説を読む人は、私から見たらかわいそう。でも本人がそうでもないなら、ま、いいか。

「躁」と「軽躁」のあいだ

TAD-O-TAD2009-06-20

「問題は、躁なんです 正常と異常のあいだ」(春日武彦光文社新書


「うつ」について書かれた本はむちゃくちゃ多いが、「躁」について書かれた本は少ない。それでも専門書れべるにならあるが、こうした新書形式のものはほぼ皆無。だからこれは非常にレアな本なのです。


ただ、内容は「バリバリ躁」の人が取り上げられていて、自分のような「軽躁状態」の人にはあまり参考にならない。「バリバリ躁」の人はほぼ等しく「全能感」を感じるらしいが、不幸なことに(?)私にはそれがなく、ただひたすら「強い正義感」に支配されていた。だから職場でのほんのちょっとした「ダラケ」が許されなかった。携帯電話を携帯しなかった上司を詰問、他理不尽な会社の方針に真っ向反対。まったく損な役割で(今でも少し続いているが)、あっという間に休業させられた。


それは置いといて、この本は「うつ病」を患っている人に読んでもらいたい。「うつ病」は常に「躁転」する危険を孕んでいるからだ。「うつ病」以上に「躁病」は怖いからね。

起こらないことが起こる

TAD-O-TAD2009-06-19

「賭博者」(ドストエフスキー原卓也:訳、新潮文庫


「0」や「00」を考えなければ、ルーレットで赤(ルージュ)が10回続けて出る確率は、1024分の1。20回連続して出る確率は、1048576分の1。しかし、世界中のルーレットの台数、世界中でルーレットが回される回数を考えた時、10回連続、20回連続は「出ないほうがおかしい」のだ。問題は目の前のルーレットでそれが起こるかどうかだ。


小説の内容とはなんの関係もない確率論(というほどではない)を持ち出しましたが、あなたが博打好きなら読んで損はないと思います。博打に興味がないならドストエフスキーの別の小説を読むことをオススメします。そんな小説です。

盤外でも個性的な棋士

TAD-O-TAD2009-06-17

升田幸三物語」(東公平、角川文庫)
毎年表彰される「将棋大勝」の中に「升田幸三賞」というのがある。「木村義雄賞」も「大山康晴賞」もない。そこがすごいと思う。


棋士は全て棋風を持ち、そこに個性が現れるという(私はヘボなのでよく分からんが)。それでも升田の個性は飛びぬけていたのだと思う。「新手一生」。「升田幸三賞」は新手、妙手を指した棋士に与えられる。


盤外でも個性をいかんなく発揮した棋士である。「陣屋事件」は有名であるが、私はGHQに乗り込んで将棋とチェスを論じたところが好きである。


昨日(2009年6月16日)の名人戦は羽生名人が勝って3勝3敗のタイに戻した。フルセット。まだ名人戦から「升田幸三賞」が出たことはない。さて最終局はどうなるか。非常に楽しみである。

ボート部でも漕艇部でもない

TAD-O-TAD2009-06-04

結局5月はアップなしか。とりあえず駄文は放っておいて、読んだ本の記録だけは取っておこうと思う。

「花ざかりの森・憂国」(三島由紀夫新潮文庫

自選短編集である。13篇の短編。「憂国」は映画にもなったほどだから有名だろう。「死とエロス」。どうもこの組み合わせは好かん。「卵」が馬鹿馬鹿しくってよい。ボート部でも漕艇部でもなく、「端艇部」の部員が登場する。あとは「橋づくし」を読んで、東京の地理に詳しくなりたいと思った(漱石の小説を読む時も感じるんだよね)。あとは割愛。